年間1000人以上の経営者と会い、人と人とのご縁をつなぐ代表世話人 杉浦佳浩氏。ベンチャーやユニークな中小企業の目利きである杉浦氏が、今回紹介する面白い会社は株式会社龍崎です。

長く続く企業には特徴があります。日本で1番古い保険代理店といわれる株式会社龍崎には、どのような特徴があるのでしょうか。

保険業界では成績優秀な社員などを対象に、旅行などの大規模な表彰制度を実施しているところが少なくありません。保険というある意味大切なインフラ事業において、表彰制度の派手さに違和感を覚えるのは私だけではないように思います。今回ご紹介する株式会社龍崎は、これとは真逆といえる存在で、創業122年目を迎えながらも地道に顧客に寄り添い、社員を大切にし続けています。株式会社龍崎 齋藤社長様からお聞きした会社経営や事業に対する思い、姿勢を紹介していきます。

1 株式会社龍崎の注目ポイント

まずは、「えっ、嘘でしょ!」と言いたくなる、株式会社龍崎の保険代理店らしからぬ状況を紹介します。

  • 厳しいイメージがある保険営業の仕事でありながら、この50年間で退職者は3名だけ
  • 紹介などで採用できるので、新卒採用に全く困っていない。採用コストも0円
  • お客様も紹介で獲得しているので、「飛び込み」等の新規顧客開拓は一切禁止
  • 保険代理店ですが、歩合給は全くなし
  • 顧客の本業支援に関わる紹介事業で収入は得ない。保険販売などの本業に集中!

派手さはなくても、社員や顧客をとことん大切にしているからこそ、このようなことを具現化でき、しかも継続できているのだろうと思います。もう少し突っ込んで、株式会社龍崎の強さの神髄を見ていきましょう。

2 株式会社龍崎、齋藤社長について

株式会社龍崎が事業をスタートした1896年(明治29年)は、日清戦争が終わった翌年のことです。こう聞くと、改めて122年という時間の重みを感じます。現在の社員数は20名で、内訳は社長を含む営業担当が14名、内務事務担当が6名です。損害保険主体の代理店事業からスタートした後、保険自由化によって生命保険販売の代理店事業も行うようになりました。

4代目となる齋藤社長は現在68歳です。新潟県出身で、地元商業高校を卒業した後は大阪の会社に就職することが決まっていましたが、お兄様からの強烈なオファーで、当時社員を探していた、株式会社龍崎に1人目の社員として就職することになりました。齋藤社長、最初はカバン持ちをしていたといいます。

やがて経営に携わっていくことになるわけですが、齋藤社長が社長になるまでの株式会社龍崎は、初代、2代目、3代目と【家族継承】で事業をつないでいました。「親戚関係のない自分がこの会社を潰してはいけない、次の世代へとにかくバトンを繋いでいく!」といった強い思いが、齋藤社長に芽生えていったそうです。

株式会社龍崎、齋藤社長の画像です

3 なぜ退職者がこれほど少ないのか?

自身が【社員1号】だった齋藤社長ですが、2人目、3人目の社員採用は失敗だったと自ら言っています。自身は歩合給ではなかったのですが、2人目、3人目として採用した社員には、成果を反映する歩合給を適用したのです。

しかし、歩合給とすると、経営も現場も目先の利益に目がいってしまうことがあり、うまくいきませんでした。そこで齋藤社長は思い切って、歩合制を廃止したのです。そして、「まず徹底的に社員を大切にする」そして「【カバン持ち】の期間を設けて自分(齋藤社長)の背中を見せる」そのような姿勢で社員に向き合うことにしました。これが、顧客を大切にする、社員が辞めないといった風土ができあがるきっかけになっていったそうです。

営業中心の会社であれば当たり前の「個人担当制」を排除していることも、大きな特徴であると齋藤社長は言います。1人の営業担当者が1つの顧客を担当するのではなく、チームで担当するようにしています。

こうすることで、社内の風通しがよくなり、またお客様とのコミュニケーションも密になっていきます。チャレンジをする責任を1人に課すのではなく、チームで仕事をするという体制が作り上げられているからこそ、退職者が出ない風土になっているのでしょう。

4 なぜお客様がお客様を連れてきてくれるのか?

お客様に寄り添うことを、齋藤社長は、『「丁寧」に仕事をすること』と話されます。短く簡潔な言葉ですが、「丁寧」に込めた思いには並々ならぬものがあります。例えば、交通事故の中で最も重いのは死亡事故です。そして、加害者側が加入している保険契約の代理店が齋藤社長という場面です。長年、保険代理店を経営していれば、このような場面に遭遇することは少なくありません。お通夜、お葬式、初七日、四十九日、1周忌には、必ず齋藤社長が加害者を連れて被害者側に出向き、手を合わせます。その姿勢を見ている被害者の親族は、最初、齋藤社長を加害者の親族と勘違いするらしいのですが、後々、それが保険代理店の人だと知って驚くそうです。そして、こうした齋藤社長の姿勢と気持ちに感動し、死亡事故の被害者側の約70%が、自分たちの保険契約を齋藤社長にお願いするようになるそうです。

自分が、加害者側が加入している保険契約の代理店であっても被害者に誠意を尽くす。齋藤社長は、「ほとんどの保険代理店は、保険契約ばかりに執着している。事故に遭ったときに、お客様に安心を与えられるか? 保険会社との間に立って通訳することができるか? そこが重要だと思います」と言います。金銭的なことは保険会社が決めること。だから、金銭的なことではなく、道義的なことをしっかりと「丁寧」に進めるのが人として大切なことであるとも、齋藤社長は話します。

5 なぜ採用に困っていないのか?

『「お金を貸してくれ」以外の相談には、全て乗ります』という齋藤社長。株式会社龍崎では、前述したような事故対応における丁寧な対応を、保険契約のみならず、個人、法人の“よろず相談”にまで広めています。齋藤社長だけではなく、社員の皆さんも多種多様な相談に無償で応えています。

例えば、自宅の修理だったら工事会社、特殊な治療が必要だったら病院、複雑な事案であれば頼れる弁護士を紹介するといったように、本当に多様な相談に応えています。そして、そうした齋藤社長の姿に感動し、『うちの子供を預けたいので、ぜひ齋藤社長の会社の社員にして欲しい』という声が、お客様からも掛かるそうです。

加えて、齋藤社長は私費を投じて、【卓球場】を郷里に建設しています。中国から有名コーチを招聘し、地元の子供たちのために卓球教室を20年前から開いています。齋藤社長曰く、「これは会社経営とは別」。そのため、全て個人の責任としてやっていることだそうです。なかなかできることではありませんね。この卓球教室では、次回の東京五輪を狙える逸材も輩出していますが、それだけではありません。卓球教室を巣立った若者たちが、今度はぜひ齋藤社長の下で働きたいと、株式会社龍崎に新卒として入社してくることもあるようです。親からしてみれば、小学生のときから知っている齋藤社長の会社に入社するわけですから安心です。

株式会社龍崎、齋藤社長の画像です

齋藤社長の本業や郷里での姿勢が共感を呼び、株式会社龍崎に入社したい人が増えるという環境が自然とできているように感じます(これは、狙っても、なかなかできるものではないですね)。その結果、20代から70代の各世代に社員が存在し、世代間の衝突もなく皆さん仲良く仕事をされていると聞きます。

6 会社を支える 2つの額縁

ここまで徹底的に社員やお客様に向き合う齋藤社長に、「何か教科書的なものはございますか?」と尋ねてみました。すると、2つの額縁をお持ちくださいました。

1つには、「名将の定義」とあり、その内容は次の通りでした。

  • 己の心をととのえ、部下の心をとらえ、他人の心を読み得るものにして、将来を予測して現在の準備を怠らず、事に当たっては積極的にやり抜く気概と実行力を持ち、自分の体験を通じて、独自の法則を生み出す者である。

名将の定義の画像です

もう1つの額縁には

  • 人の道と降る雪は、つもりつもりて、道を誤る

とありました。

人の道と降る雪は、つもりつもりて、道を誤るの画像です

齋藤社長は、「まずは自分の心をととのえているか? そして社員を大切にし、その次にお客様のことを考える。この順番を間違えないことが大事」と素敵な笑顔で語ってくださいました。採用が困難な時代、丁寧に仕事に向き合うからこそ、社員やお客様から支持され続けるということなのだと思います。

私は数カ月に1度、株式会社龍崎を訪問し、齋藤社長とお話ししています。会社経営の姿勢を常に学ばせていただけることを、有り難いと思っています。

以上

※上記内容は、本文中に特別な断りがない限り、2018年10月1日時点のものであり、将来変更される可能性があります。

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提供
執筆:杉浦佳浩 (すぎうら・よしひろ) 代表世話人株式会社代表
三洋証券株式会社入社(昭和62年)。鹿児島支店にて勤務。地元中小企業、個人富裕層の開拓を実施。 日経平均最高値の2カ月前に退職。次に日本一給与が高いと噂の某電機メーカーに転職。埼玉県浦和(当時)にて、大手自動車メーカー、菓子メーカー、 部品メーカー等の主力工場を担当。 退職時は、職場全員から胴上げ。そして、某保険会社に二十数年勤務後、平成26年末に退社。在社中は、営業職、マネジメント職を経験して、リテール営業推進、若手人財育成を中心に担当していた。 社外の活動も活発に行っていた。平成27年1月1日、代表世話人株式会社を設立。
同社代表取締役に就任。世話人業をスタート。年間1000人以上の経営者と出会い、縁をつなげている。

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